《Twitter》の野球史仲間と長嶋茂雄の追悼をする。
- 長嶋茂雄が死去した。
普段からお世話になっている、野球史家のキタトシオさんが、《Twitter》上で追悼のスペース〈さらば「ミスタープロ野球」〉を開いたので、僕も参加させてもらい、主に1980年代生まれの野球史ファンで長嶋茂雄の功績を語った。
(スペースというのはラジオ番組みたいなもの)
(私も含め、全員、「長嶋はとてつもなく偉大」というのは当然の前提だ)
- ただ、私の個人的な長嶋体験は否定から始まっている。
(以下は長嶋個人が悪いのではないのだけれど)
小学生時代からひねくれ者だった私は、1990年代のマスメディアの、10.8同率決戦、“メークドラマ”、“メークミラクル”、背番号3復活、ON対決、監督勇退…といった折々の長嶋礼賛報道を、なんとなく毛嫌いし、つねにライヴァル球団を応援していたのだ。いわゆる“アンチ巨人”というやつである。
(まあ上記のうち、10.8同率決戦、“メークドラマ”、ON対決は、実際長嶋が勝ってるんだからしかたないんだけど)
私が陰キャなもんで、長嶋みたいなまぶしすぎる人間よりも、広岡達朗とか落合博満とか中嶋聡みたいな、ちょっと陰をまとった監督が好きになりやすい、というのもある。
それにしても長嶋がジャンパーを脱ぎ、背番号3を見せるかどうかが、イチローや松井秀喜よりも大きく扱われたのだから、報道がゆがんでいると言ってもバチは当たるまい。
これについて、
「今の大谷翔平と扱いと同じで、嫌になった、ってことですよね」
という意見があったし、確かにそれに近い部分はあるのだけれど、決定的に違う部分もある。大谷は若者であり、現役選手であり、若者や子供のヒーローでもある。それに対して、90年代の長嶋はすでに初老男性であり、グラウンドを駆ける現役プレイヤーではなく、若者や子供のヒーローにはなりえなかった。そんな時代に長嶋が礼賛され、主人公となり、神格化されつづけたことが、野球に、
「ださいオヤジのスポーツ」
という、現在にまで続く負のイメージをつけてしまったのではあるまいか。
これは長嶋ではなく、長嶋に頼りすぎるメディアに問題があったというべきなのだろうけれど。
- 「監督としての長嶋は(世評にもかかわらず、)名将だった」
というのが、このスペースの共通見解だった。
松井秀喜、高橋由伸を育て上げた。落合博満も江藤智もその能力を存分に巨人で発揮した。キタトシオさんの言い方にしたがえば、「一流を超一流に育て」あるいは「一流を一流のままに」活躍させたのだ。
それに、いくら「巨人は巨大戦力だ」といっても、5回優勝しているというのはのはやっぱりすごい。
そもそも「巨人は巨大戦力」と言うのは確かに事実の部分もあるけれど、当時のマスメディアが作ったイメージもあるし、野村克也の口がうまかった部分も大きいのではないか。スワローズだってタイトルホルダーが揃っていて、十分に強かったのに、
「弱者の戦術で勝つしかない」
と言う野村に、みんな騙されていたのだ。
(それにしても、「長嶋・野村・星野が揃っているセントラル・リーグ」とか神だろ…。我々世代は少し後年の、「原・岡田・落合が揃っているセントラル・リーグ」が好きで、あれも「闇の戦い」感があってかっこよかったんだけれど、それにくらべても前者は発信力高すぎる)
- どうすれば、偉大な野球人・長嶋茂雄を後世にうまく語り継げるか。
(キタトシオさんは
「日本プロ野球はうまく歴史を後世に語り継げていない」
というスタンスである)
「セイバーメトリクス系の最新指標でも長嶋はすごい(落合博満を上回ることすらある)のでセイバーメトリシャンは
(「送りバントは戦術的に…」とかばっかり言っていないで、)
こういう名選手の凄さを積極的に発信してほしい」
「漫画やゲームといったサブカルの影響はやっぱり馬鹿にできない」
「負の部分まで含めた、しかしスキャンダラスな暴露本ではない、“人間・長嶋茂雄”を描いた本格的評伝があればぜひ読みたい」
といった意見が出る。
- 最後に、現役時代を見ていたという人から証言があった(その方はドラゴンズファン)。
「すごく勝負強い選手だった。終盤、ドラゴンズがちょっと勝っているときに、ツーアウト2塁で打席に立つと、長打ではなく、センター前ヒットで走者を本塁に返す。ドラゴンズファンとしては嫌だった。」
(その方のツイート)
その姿を想像してみる。
一塁上で、大声援を浴びながら、手袋を外し、走塁リードに入る長嶋茂雄。
うん、うん…!
長嶋はやっぱりかっこよかったよ。
2025年06月05日作成
2025年06月05日更新
アカセ日記