大の里の相撲は本当につまらない。
- これは最高の賛辞、あるいはほかの力士ファンの私の負け惜しみととっていただければよいのだけれど、大の里の相撲は本当につまらない。
相撲の面白さは差し身であり、巻替えであり、突っ張り合いだ。投げであり、崩しであり、引き付けあいである。足技であり、吊りであり、しのぎであり、極めである。
大の里は、そのどれも、ほとんど出さない。あるいは出せるのかもしれないけれど、相手との力の差があって出す必要がまったくない。
圧倒的な力で、3秒で相手で土俵から追い出す。
しかもこいつが憎たらしいのは、逆転もうまいことで、たまに他の力士が土俵際まで追い込んでも、土俵際ジャンプがうますぎて勝ってしまうのだ。
この力士がおそらく20回、30回の優勝力士となっていく。
そういうものである。
- 大の里はまったく悪くない。
相撲のある種の完成形というか、
「そりゃあこんな力士がいたら簡単には負けねえよな」
という像が、具現化したもの、それが大の里なのだ。
類型がない、珍しいタイプで、しいていえば少し違うけれど曙だろう。大の里は日本に生まれたハワイ力士なのだ。
ひとまず、他の力士による、さらなる対策研究を期待するしかない。
- さらに大の里はメンタルも異常に強い。
初優勝がかかろうが、大関がかかろうが、横綱がかかろうが、簡単に優勝してしまう。
もう“心強里”にでも改名してはどうか。
隆の里、稀勢の里、心強里-。
そういえば、なんかエドモンド本田に似てる気もしてきたぞ、大の里。
- [1^]なお、この大の里の台頭とは関係なく、以前から私は、相撲の土俵を、現行の直径十五尺から一尺二尺程度拡張したほうがよいと思っている。その方が相撲が長くなり、突進力に劣る小兵の活躍の可能性も上がるようだ。土俵のサイズは明治以来、昭和まで一貫して大きくなっており、占領下で一度十六尺になったことがある。これが不評で戻されて以降、ずっと十五尺でやっている。当時とは大相撲の体格が格段に上がっており、戦前と同じ十五尺をずっと続ける必要もあるまい(別に不変の伝統というわけでもないのだし)。
2025年06月05日作成
2025年06月05日更新
アカセ日記